母のチャーハン
お袋の味というものがある。
お袋の味の起源には諸説あるが、一説には南太平洋のバラポラキア島の風習として15歳になった子供には母親が自らの肉の一部を削ぎおとし食べさせるという通過儀礼があったらしいのだが、ある時一人の母親が「うちの島の風習がありえないんだけどww」twitterに投稿したことをきっかけに盛大にバズり、人権侵害だと世界中から避難の嵐に巻き込まれた族長が「でも、代々の通過儀礼だし何か良い方法はないでしょうか?」とYahoo知恵袋に投稿したところ「じゃあ、お母さんたちが何か料理を作って子供たちに食べさせたら良いのではないでしょうか?」という投稿がベストアンサーに選ばれ、クラウドファンディングによって50人分の食材・調理器具などの必要費用を募ったところ見事達成し、島の母親たちが料理を振る舞った事だと言われている。
この時に作られた料理が主に肉とジャガイモを使用した料理であり、島の方言で「ニクネム・ジャガピヌン」と呼ばれており、この料理が後に日本へと伝わり「肉じゃが」の語源になったという説がある。(ちなみに「ニクネム」はジャガイモ、「ジャガピヌン」は肉のことらしい)
皆さんはお袋の味と言えば何を思い浮かべるだろうか?
定番の肉じゃがだろうか?
それとも味噌汁か?カレーか?
各々の家庭によってそれぞれの思い出の味があるはずである。
ちなみに僕は特に思い浮かべるものがない。
普通に母が料理を作っていてくれたのだが、「あの味が恋しい」とか「あの料理が懐かしい」というものがこれといって思い浮かばない。
定番と言われる肉じゃがでさえ、父が煮物類に興味がない人だったのでほとんど家庭で出たことがなく、ちゃんと食べた記憶があるのは一人暮らしをして自分で作った時のことである。
しかし、強いて挙げるとすればひとつだけ思い出深い料理がある。
母のチャーハンである。
ちなみに、皆さんチャーハンと言えばどんなものを思い浮かべるだろうか?
中華料理店で食べる料理は別として、各家庭で作られるチャーハンには具材・調理法などで数多くのバリエーションが存在するのではなかろうか。
我が家は父も含め、全員料理がある程度はできるので料理によって担当が決まっていたりする。中華なら父、パスタなら僕といった具合である。
それでいうとチャーハンは父の担当領域なので、今でもよく作ってくれることがある。
父はどちらかと言えば凝り性で「いかにすればパラパラになるか」などということを探求しているので、ちょっとした中華料理屋くらいのクオリティーのものを作ってくれる。その味は身内ながらなかなかのものだと思う。
しかし、僕が思い浮かべるのは幼い頃よく母が作ってくれたチャーハンの方である。
母のチャーハンの作り方はシンプルだ。
具材はご飯、玉ねぎ、人参、ピーマン、豚バラ肉、それと塩コショウ少々のみだ。
まずは野菜をみじん切りにして炒め、次に細かく切った肉を炒め、最後にご飯を投入し塩コショウで味を整えて終了だ。
本当にシンプルだった。
時おりタマゴが投入されることもあるのだが、完全に炒り卵の状態にしてからご飯を入れるのでご飯がタマゴでコーティングされることも一切ない。
このチャーハンがどんな味がするかと言えば、大体想像できると思うのだが、塩コショウ味の肉と野菜と米である。
ありていにいってしまえば、不味い。
いや、不味いというか美味しくはないというべきか。
このチャーハンが小学生くらいの頃はかなりのヘビーローテーショんで食卓に登場していた。例えば、土曜日半日学校に行き帰ってきた後の昼食に。例えば、母が仕事で出かける夜の夕食に。(僕の母は週1回くらい英会話を教える仕事をしていた時期がある)
幼いころは何の疑問もなく食べていたのだが、成長するにつれ味覚も成長し、様々な料理を食べるうちに「あれ?もしかして母のチャーハンは美味しくないんじゃなかろうか?」という疑問がふつふつと湧き上がり、ある時確信に変わった。
「母のチャーハンは美味しくはない」と
どう考えても美味しくはない。
当たり前である。具材を塩とコショウで炒めただけなのだから。
料理というか調理って感じの品であった。
おそらく、ほんの少しでも醤油なり中華調味料なりを入れていれば全く違う結果になっていたかもしれないが母はそう言ったことを一切しなかった。
もしかしたら隠し味的なものが入っていたかもしれないが、隠れている様子もなかったし、その存在も感知できなかった。(むしろ何かしら隠れていて欲しかった)
幼い頃は一人分は食べていたのだが、中学生くらいになると半チャーハンくらいの量しか食べていなかった気がする。
そうして自分でもある程度料理ができるようになると「チャーハンくらい自分で作る」と宣言し、母のチャーハンが登場する機会は激減した。
母はそこまでマメな人ではなかったし、料理がものすごく上手というわけではなくかといってとりわけ下手なわけでもなかったのだが、母のチャーハンだけは本当に美味しくはなかった。
食べれば食べるほど、「自分は一体何を食べているのだろう?」みたいな気分になってくる味だった。
成人してからのことであるが、ある時ふと「母の作る料理の中でチャーハンだけは本当に美味しくなかった」ととんでもなく親不幸なことを面と向かって母に言ったことがあるのだが、
それに対し母は「私もそう思ってたー。チャーハンって難しいよね」と笑っておっしゃっていた。(ちなみに妹も僕の発言に同意していた)
母自身もそう思っていたのか・・・
ならばもう少し改良の余地はあったのではなかろうか・・・・
しかし、大人になり、実家も出て、自分で料理をし、外食もするようになり、美味しいものもたくさん食べたはずなのだが今でもふと思いだすのはあの当時「またか。。。」と思っていた母のチャーハンである。
あの塩とコショウの味しかせず。パラパラというか場合によってはベチャっとしていて、ピーマンの苦味や人参の独特の風味なんかがあって、ほとんど素材の味しか感じられない母のチャーハン。
仕事や家事で忙しかったり、疲れていても作ってくれた母のチャーハン。
もう何年も食べていないし、もしかしたらこの先二度と食べることはないかもしれない母のチャーハンが無性に恋しい。
本日、2/18は我が母の誕生日。
母、誕生日おめでとう。
いつもありがとう。
セブンイレブンの冷凍チャーハンは値段の割にすごく本格的なのでオススメである。